法政大学応援団OBOG会

100年の歩み
応援団の出来事
大学関係・スポーツ・その他
大正11年9月
大正十一年九月 応援団有志により組織化される。
大正四年野球部創部。
大正12年
関西大学との陸上競技定期を有志により応援する。
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大正13年
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大正14年
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全国学生相撲に平田君優勝する。
六大学野球リーグ戦始まる。
大正15年
(昭和元年)
★応援団創設。
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昭和2年
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昭和3年
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昭和4年
★応援団員を核に校歌改正委員会発足(一般学生よりの募金活動を主催)。
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昭和5年
応援団国民外交に一役、極東オリンピック大会に学生募金による大杯贈呈。
六大学野球初優勝を提灯行列で祝す。
相撲、水泳、馬術、ボクシング、野球、陸上競技等の応援が活発化する。
★新校歌誕生する。
六大学野球、初優勝・秋。
背広着用禁止、角帽に統一。
昭和6年
六大学野球を空から飛行機で応援、神宮球場あぜんとする。
訪欧飛行の募金活動を主催する。
青年日本号訪欧の旅(羽田ローマ・一万四千二百九十四キロの旅)。
昭和7年
★四大学応援団連盟を脱退する。
★新応扱歌「若き日の誇り」誕生。
六大学野球、第二回優勝・秋。
文部省令による応援団改組、廃止。
昭和8年
学生騒動の平常化に努力する。
早慶戦リンゴ事件・早慶応援団解散する。
昭和9年
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法政騒動起きる。
昭和10年
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昭和11年
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二・二六事件。
昭和12年
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昭和13年
団長は弁論部主催の弁論大会・最終弁士。法大新聞への寄稿等にも活躍する。
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昭和14年
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第二次世界大戦勃発。
昭和15年
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日独伊三国同盟
昭和16年
アイスホッケー、相撲、馬術等の応援華やか。団長は映研、劇研の顧問を兼ねる。
太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)。
学業少なく軍事訓練の毎日。
昭和17年
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昭和18年
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十月、学徒出陣始まる。
六大学野球早慶戦で中断する。
昭和19年
先輩の学徒出陣に応援団団旗の壮行会。
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昭和20年
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八月十五日終戦。
神宮球場進駐軍に撤収される。
昭和21年
応援団の再建、六大学野球復活に努力。
六大学野球復活、秋天皇杯下賜。
昭和22年
★応援団の全面的改革、リーグ戦終了後全員辞任。
★東京六大学応援団連盟結成。
★応援団、体育会から自治会直属機関へ。
★体育会結成。箱根駅伝復活。
超インフレ起こる(米一俵六十円から百八十円へ)。
昭和23年
★第一回合宿行われる。
★六大学野球、戦後初優勝・秋。
★第二回大学選手権優勝。
昭和24年
ヤクザ合宿所に珍入(中大と間違える)。
学生歌『オレンジの園」発表。
★法政大学創立七十周年記念式典。
六大学応援団連盟野球大会開催。
昭和25年
★フラスバンド部結成。
秋のリーグ戦五旗入場式(東大旗を忘れる)。
朝鮮戦争勃発・レッドパージ。
昭和26年
★全日本応援団連盟に加盟せず。
★日米安全保障条約。
全日本応援団連盟結成。
昭和27年
★応援団学友会加盟(文連・体連と共に)。都市対抗野球長野・蓼科高原応援指導(コロムビア、東レ、日石)。
血のメーデー。
昭和28年
新潟市立公会堂にて演奏会開催する。
スポーツの幅、広くなる(アメフト、スキーなど)。。
昭和29年
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ビキニ水爆。
昭和30年
慶応エール交換に熟歌斉唱せずの事件。
応援団団旗竈車内に忘れる。
青年日本号訪欧の旅(羽田ローマ・一万四千二百九十四キロの旅)。
昭和31年
★応援団団報発刊する。
リーダ較グランドへ法政学生乱入事件。
全日本大学野球にて六大学以外で初めて関西大学が優勝する。
昭和32年
第一回オレンヂの集い開催
岸内閣成立。大学応援団暴力事件多発する。
昭和33年
NHK指揮者萩原氏プラス部常任指揮者に。
新応援歌(応扱曲法政)誕生する。
法政大学創立八十周年記念式典。
六大学野球長嶋人気に沸く。
神宮球場にダフ屋現れる。
昭和34年
合宿にて集団食中毒発生する。
六大学野球・春、背番号を初めてつける。
明大応援団に女子入団。
昭和35年
★プラスバンド部全日本大学吹奏薬連盟加入(吹奏楽コンクール初出場第二位となる)。
★六大学野球・春十二年ぶり優勝。
★日米安保条約成立。
★岸内閣総辞職。
昭和36年
三陸大火災見舞募金活動行う(新宿駅頭)有沢総長より
表彰。賞として新団旗拝受。
★第一回演奏旅行(九州・佐世保、佐賀、出水、鹿 児島)。
松川事件・全員無罪。
スーダラ節大流行。
昭和37年
団内に傷害事件発生、新聞等にたたかれる。
新生応援団スタートす る。
神宮球場ナイター完備。
三河島で二重衝突事故発生する。
昭和38年
新生応援団として初の団スローガン・ 「愛される応援団」を発表する。
ケネディ大統領暗殺される。
昭和39年
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★東京オリンピック開催。
昭和40年
六大学応援団連盟第一回運動会開催する。
学生応援席前にネットが張られる。
ベトナム北爆。
高度成長期終わり。
昭和41年
応援歌「チャンス法政」誕生する。
文化大革命。
昭和42年
★応援団OB会結成。
リーグ戦入場券管理、応援団側から球場管理となる。
神宮球場にて団旗付け違い事件。
第三次中東戦争。
昭和43年
応援団愛育園を慰問。
東大紛争起きる。
昭和44年
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六角校舎にて殺人事件。
昭和45年
プラスバンド部独自の演奏会開催。
第一回法明ジョイントコンサート開催。
プラスパンド部に初の女子入部。
三島由紀夫割腹自殺。
日本万国博開催。
昭和46年
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ドルショック・円変動相場制に。
六大学野球春季に四連覇達成。
昭和47年
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日本列島改造論。
昭和48年
★シンボルマーク制定委員会主催。
オレンジの集いにて孫悟空発表する。
天章合宿にて盲腸炎多発する。
オイルショック。
昭和49年
★バトン部結成。
初めてリーダー、ブラス部別々の合宿を行う。六大学野球過熱、法政の外野席に私設応援団できる。
野球部に甲子園の金の卵(江川、金光、楠原、価田、植松、島本等)が入部する。
昭和50年
★応援団創立五十周年記念式典開催「東京プリンスホテル」。
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昭和51年
バトン部、発足まもない東大パトン部の指導をする。
東大応援部にバトン部発足する。
ロッキード事件
昭和52年
学園祭最中地下にて爆発起こる、警備中の団員急行し消化する。大学より表施。
赤軍日航機をハイジャック。
昭和53年
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江川、巨人入り。
昭和54年
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日本坂トンネル事故。
昭和55年
★大学創立百周年記念事業で中村総長より新団旗(総長大团旗)贈呈。
あいさつ「シワス」の廃止、失礼しますとなる。
法政大学創立百周年記念式典。
昭和56年
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ローマ法王来日。
昭和57年
神宮球場が人工芝になり紙吹雪の使用不可となる。
日航機墜落。
昭和58年
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戸塚ヨット事件。
第30回六旗の下に銀座で記念パレードを実施
昭和59年
バブル景気の気運もあり、 バラエティ番組やCM等、TVメディアへの出演が増える
それまで常任指揮者を務めていた「大沢可直氏」と契約を更新せず、学生指揮者で1年間活動する。
初めて吹奏楽コンクールに出場する。
箱根駅伝六十回記念大会。
★町田校舎開校。
昭和60年
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昭和61年
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昭和62年
創団以来初のリーダー部一人幹部。
秋季リーグ戦優勝、連続優勝が始まる。
昭和63年
神宮球場応援への騒音苦情が問題化、守備中の楽器演奏応援が中止となる。
昭和天皇療養中の自粛ムードから秋季優勝パレードを自粛。
青函トンネル開通。瀬戸大橋開通。★六大学野球春秋連覇。
平成元年
1984年(昭和59年)以来5年ぶりの箱根駅伝競走に出場
昭和天皇崩御。
六大学野球春季に四連覇達成。
平成2年
騒音問題が一層深刻化、エール交換時以外の大太鼓の使用が中止となる。
ファンファーレ誕生、チャンスパターンの多様化が始まる。
リーグ戦立教と同率首位、昭和三十八年秋季以来、二十七年ぶりの優勝決定戦。
平成3年
アメリカンフットボール等、野球以外の各種応援が活発化。
湾岸戦争勃発。
アメリカンフットボール日大撃破。
平成4年
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ラグビー部学生日本一。
平成5年
団旗を巡る他大学部員への暴力事件により、リーダー四年生退団処分となる。
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平成6年
バトントワラー部をチアリーディング部に改称する。
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平成7年
七十周年記念式典(六月三日)「高輪プリンスホテル」。
阪神大 震災・地下鉄サリン事件。
野球部、全日本選手権優勝。
平成8年
春季冨浦合宿がTV放映される
ボヤ騒ぎが起き機動隊が学生会館に突入
東京六大学野球春季リーグ戦優勝
清成忠男氏が総長就任
平成9年
東京六大学野球連盟50周年を記念して日本橋~
日比谷公会堂間をパレードする
リーダー幹部が不在の代
消費税5%導入
山一証券自主廃業、最後の野澤正平社長は法政大学卒業生
平成10年
宛名の手書きを廃しOA化が進められる
応援曲「リダイヤル」の誕生
チアリーディング部に「GENIES」というチーム名が誕生
東京六大学野球秋季リーグ戦優勝
甲子園ボウルで関学との両校優勝を果たす。コイントスで法政大学がライスボウル出場
平成11年
箱 根駅伝応援で強風により総長大団旗ポールが折れる
NHK「おはよう日本」で応援団特集が放映される
全日本学生応援団連盟との合同会議を学内で実施
国際文化学部、人間環境学部が誕生
大卒就職率が過去最低「就職氷河期」
平成12年
七五周年記念式典 ボアソナードタワースカイホール
現役担当委員会発足。リーダー部の立て直しを図る。
リーダー部が春季合宿で集団脱走
「エル・クンバンチェロ」を応援曲に採用
東京六大学野球春季リーグ戦優勝
甲子園ボウル優勝
ボワソナード・タワー竣工
平成13年
現役担当委員会主導のもと、春季リーダー部合宿を大磯プリンスホテルにて実施
福島県須賀市の「うつくしま未来博」で六旗デモンストレーション開催
現役担当委員会本格始動
東京六大学野球春季リーグ戦優勝
アメリカ同時多発テロ事件(9.11)
小泉純一郎内閣誕生
平成14年
幹部役職に統制責任者発足
新宿歌舞伎町にて東京六大学応援団パレード実施
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平成15年
後援会より新大団旗贈呈
六旗の下に50回記念
イラク戦争
平成16年
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学生会館の24時間利用が禁止になる。
平成17年
八十周年記念式典 東京プリンスホテル
六大学応援団初の女性副団長誕生。神宮球場にて校歌を指揮する。
学生会館解体に伴い、応援団団室も市谷田町校舎に仮移転する。
東京六大学野球秋季リーグ戦優勝
学生会館解体
平成18年
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東京六大学野球春季リーグ戦優勝
平成19年
団室が富士見坂校舎に移転
東京六大学 オータムラン
東京六大学応援団連盟結成60周年記念
~神宮外苑5kmラン&外苑周辺ウォーク~
2007年9月30日(日)
外濠校舎竣工
平成20年
応援曲ストーム&カウンター(ファンファーレ)誕生
米リーマン・ブラザーズ経営破綻に伴う不況
平成21年
リーダ部3年4名が秋季リーグ戦で謹慎処分。2カード不在。
法政大学応援団初の海外遠征、ドイツへ。
東京六大学春季リーグ戦 サヨナラホームランで優勝決定。日本一
平成22年
団年賀を平成21年の内容で発送。2年連続平成21年の団年賀となる。
松山・坊っちゃんスタジアム開場10周年記念-
東京六大学野球オールスターゲーム 史上初の開催
※六大学オールスターゲームの始まり
平成23年
リーダー幹部0人、14年振りの吹奏楽部からの団長誕生
東日本大震災(3月11日)
平成24年
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東京六大学野球秋季リーグ戦優勝
平成25年
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六旗の下に60回記念パレードを神宮外苑で実施
平成26年
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消費税8%導入
平成27年
スイスザンクトガレン大学への応援団派遣(3月3日~11日)
九十周年記念式典 東京プリンスホテル
春季リーグ戦で94連敗中の東京大学に敗退を喫する
平成28年
初の外国人旗手責任者誕生
明治神宮外苑創建90年記念奉納試合実施
侍ジャパン壮行試合 高校日本代表 対 大学日本代表実施
平成29年
ブラッドオレンジ誕生
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平成30年
団規約改定。暴力、授業出席への妨害等を行った場合の罰則等を盛り込む。
応援歌 熱き心の復活。
東京六大学野球秋季リーグ戦優勝
平成31年
(令和元年)
吹奏楽部の幹部役職にインスペクター誕生
消費税10%導入
平成天皇 生前退位。元号が平成から令和へ
新型コロナウイルスの感染拡大により大学全体の卒業式が中止となる
令和2年
新型コロナウイルスの感染拡大により、夏合宿が中止となる。
秋季リーグ戦で外野席での応援活動が再開。
六旗の下にがオンライン開催で実施。
新型コロナウイルスの世界的流行
夏季リーグ戦が異例の8月開催。東京六大学野球春季リーグ戦優勝
菅首相が内閣総理大臣に就任。法政大学出身者で初の快挙。
令和3年
新型コロナウイルスの感染拡大により、夏合宿が中止となる。代替として、多摩キャンパスにて通いの合同練習を実施。
東京オリンピック、パラリンピックの開催
甲子園ボウル出場
令和4年
コロナ禍以降、合宿再開
春季リーグ戦最終戦より内野席応援が復活。
六旗の下に対面開催
ロシア、ウクライナへの侵攻
安倍首相銃撃事件発生
令和5年
箱根駅伝において対面での応援活動が復活
WBC日本優勝
令和6年
チアリーディング部 USA大会出場
東京都大学吹奏楽コンクール金賞
甲子園ボウル出場
令和7年
百周年記念式典 新高輪プリンスホテル 飛天の間
消費税10%導入
平成天皇 生前退位。元号が平成から令和へ
新型コロナウイルスの感染拡大により大学全体の卒業式が中止となる